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青山は渋谷の中にもあった!?

何が由来か分からない施設名の不思議は、古地図を見ると解決することが多いと思うチキンです。

これまでに、大字と小字の説明をしましたが、東京では町から大字へ変更される事例が多々ありました。分かりやすいのが青山。

aoyama.jpg
(mapionbb より部分引用)
表参道・渋谷

この地図を見ると、港区青山(南青山・北青山)に隣接する渋谷区渋谷に青山学院大学(以下「青山学院」)があります。
なぜ、渋谷にあるのに渋谷学院ではないのだろう?青山から移転したのかな?青山の方がネームバリューがあったから?真相を確かめる為に、古い地図を見てみましょう。

aoyama2.jpg
(所蔵地図データベース「東京府豊多摩郡澁谷町平面圖(1926年)」より部分引用)

これを見ると、青山学院は90年前から同じ場所にあります。青山学院という名も、現在地に置かれてから付いたようです。
そして、住所を見ると…豊多摩郡渋谷町大字青山南町七丁目。また、横には赤坂区青山南町六丁目の文字が。あれ?六丁目が赤坂区で七丁目が渋谷町?

これは、明治22年の市制・町村制時の再編によるものなのです。

前回取り上げた郡区町村編成法時に、東京には15の区が設置されます。この15の区は江戸時代からの地域名、江戸の「町」を踏襲したものでした。名称は以下の通り。

 旧区名      現区名(昭和22年の※合区による)
麹町・神田   →  千代田
日本橋・京橋 →  中央
芝・赤坂・麻布→  港
四谷・牛込   →  新宿(東部)
小石川・本郷 → 文京
下谷・浅草   → 台東
本所      → 墨田(西部)
深川      → 江東(西部)
※合区…区同士の合併のこと。

上記区域が、昭和7年まで「東京市内」とされた地域です。
(今でも都内の区を表記する時の慣習通り、「“の”の字」で描いた順番で区名を記載しています)

殆どの区名は地域名として今でも使われますが、「下谷」はあまり聞かなくなってしまったでしょうか。現在の台東区西部、上野・御徒町のことです。

話を戻しましょう。この15区ですが、市制によって明治22年に東京市が誕生する際に以下の再編が行われます。
・郡部(町村)から東京市(15区)へ編入。
・東京15区から郡部(町村)へ編入。

郡部とは、郡に属する場所。いわゆる町村のことです。東京15区の周辺は全て郡部でした。

外縁である赤坂区も再編の例外ではなく、赤坂区のうち以下の部分が明治22年に渋谷村となりました。
・東京府赤坂区青山北町七丁目 → 東京府豊多摩郡渋谷村大字青山北町七丁目
・東京府赤坂区青山南町七丁目 → 東京府豊多摩郡渋谷村大字青山南町七丁目
・東京府赤坂区渋谷宮益町 → 東京府豊多摩郡渋谷村大字渋谷宮益町

※渋谷村は、明治22年に上渋谷村、中渋谷村、下渋谷村と上記3町(旧赤坂区)及び麻布広尾町、渋谷上広尾町、渋谷下広尾町、渋谷広尾町、渋谷神原町(以上旧麻布区)の合併によって誕生。明治42年に町制施行。昭和7年の東京市編入で東京市渋谷区となり、都制を経て現在に至る。

「宮益坂」でも知られる渋谷宮益町は、中渋谷村の一部が江戸時代に町地化したもの。江戸は現在の港区までですが、地図に見られる通り一部が渋谷区にもせり出していました

ただ、これでは道一本の両側だけという細長い土地が市内でその周辺が郡部だったり、郡部の中に市内の飛び地があったりとややこしいからでしょうか、市制時に大幅に整理をしています。青山北町・南町の場合はそういう訳でもないですが、七丁目は市内としておくには田舎すぎて郡部に編入されたのではないかと推測します。

住居表示(別の機会に改めて説明します)が施行されて以降は、郡部にも「町」が存在するようになりましたが、明治時代は市と郡部の差がハッキリしていたのでしょうか。名称を変えずに「町」が「大字」へ変更されていることは興味深く思います。

渋谷区と言えば、東急東横線の代官山駅は、大字下渋谷字代官山から採られています。

daikanyama.jpg
(所蔵地図データベース「東京府豊多摩郡澁谷町平面圖(1926年)」より部分引用。東横線開通前)

当地は渋谷区代官山町となっていますが、小字が町名として現在も生きているというのは、京都以外では少数派です。特に、東京では極めて稀な例です。

ところで、戦前から存在する「青山一丁目駅」ですが、青山一丁目という町名は今も昔も存在したことがありません。
駅のある場所は、昔から青山南町一丁目と青山北町一丁目の境であり、今も南青山一丁目と北青山一丁目の境となっています。

また、首都高の高樹町ランプのある辺りは、昭和40年まで青山高樹町という町名でした。

青山も高樹(高木)も、そこに屋敷のあった人の名から採られたもの。江戸・東京の外れだった時代を経て、随分とネームバリューのある地域となったものです。

今日のポイント
・青山学院がある場所は、元々「青山南町七丁目」だった。
・明治22年の市制・町村制で、現在のような「市区町村」が出来上がった。
・代官山は、元々は「中渋谷」の小字。



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