さいたま
- 2016/10/29
- 10:02
京浜東北線に乗りながら、浦和VS大宮の意識はまだ存在するのかと考えていたチキンです。
埼玉県の県庁所在地…みなさんはどう答えますか?
さいたま市
正解です。ただ、咄嗟にこう出てくる人もおそらく少なくないでしょう。
浦和
浦和市があった頃の名残ですが、個人的にはさいたま市浦和区や大宮区と言われるよりも浦和市や大宮市の方が未だにしっくりきます。
さいたま市は、2001年に浦和市、大宮市、与野市が合併して誕生し、2003年に政令指定都市(9区設置)へ。そして、2005年に岩槻市を編入(10区)して現在に至ります。
・さいたま市の内訳
旧浦和市 - 浦和区、南区、桜区、緑区
旧大宮市 - 大宮区、北区、西区、見沼区
旧与野市 - 中央区
旧岩槻市 - 岩槻区(2005年編入)
(※一部、上記と異なる場所もあります)
9区の名称選定の過程はニュースで見ていましたが、さいたま市長にカミソリの刃が送られるなど穏やかならぬ状況でした。なぜ、区名の選定でそのようなことが起きていたのか?テレビで見たニュースによると、主に旧大宮市民が怒りを露わにするというもので、このように報道されていました。
旧大宮市(東部)民「沼が付くのは田舎臭い。見沼には反対だ」
旧大宮市(東部)民「見沼区〇沼 沼が二つも付くなんて田舎臭い!」
旧大宮市(東部)住民「見沼は嫌だ。※見沼の面積は浦和の方が広いんだから浦和(東部)が名乗るべきだ」
旧大宮市(東部)住民「東区がいい」
旧大宮市民「なぜ浦和ばかり『桜』や『緑』など綺麗な名前を付けて、大宮は北、西、見沼なのか」
※見沼…旧浦和市東部・旧大宮市東部を中心として広がっていた広大な沼。江戸時代の干拓事業で新田となり、今でも「見沼田んぼ」の名で知られる。昭和10年代に、多摩湖、狭山湖に次ぐ貯水池として開発することが計画されたが、周辺の町村の反対により撤回され現在に至る。
メディアや世間(個人差はあると思いますが)はこのような風潮だったように記憶しています。
「見沼田んぼという地域の歴史を否定している」
「沼が付くことを田舎臭いと嫌がる姿こそ田舎臭い」
「歴史性も何もない『桜』や『緑』をいいとか、「東」がいいと言う発想が逆に田舎臭い」
可能な限り歴史的地名を使用することが望ましいと考える立場からするとこの意見は理解できますが、こうやって大宮が反発して批判されることそのものが浦和の目論見通りだった…と言ったら考えすぎでしょうか。そもそも、旧与野市を与野区とせずに中央区としたこと自体に旧浦和市側の意向が働いていたと思います。
旧大宮市よりも南にある旧与野市を中央区としておけば、仮に今後旧大宮市の北にある上尾市や北足立郡伊奈町と合併することがあっても、名目上の『中央』の位置は変わらない訳です。さいたま市の地理的な中心が大宮になったとしても、大宮よりも南に中央区がある事実は揺るがない。
旧浦和市の中心を中央区とすることは大宮が断固反対するでしょうから、それぞれの中心を浦和区、大宮区とした上で、その間(若干浦和寄り)に挟まれた旧与野市を中央区とすることで折衷…したと見せかけて、浦和の戦略勝ちという結果なのではないかと思います。中央区という名称選定自体も与野区を望む人が多数の旧与野市民の意見を無視したものでしたし、さいたま市再分離の声も大宮側から出ていましたから。
しかし僕は思います。そもそもそこまで旧市対立が酷い地域が…
合併する必要があったのかと!
政令指定都市になることで様々な権限が委譲されるというメリットがありますが、同レベルの都市同士で合併をするとどうなるかという見本のような合併だったと思います。
大宮駅前で「大宮区は大宮アルディージャを応援しています」という文字を見た時には、「さいたま市は、浦和レッドダイヤモンズ、大宮アルディージャを応援しています」とできないのかと思いました。
ちなみに、現在のさいたま市の枠組みには良い点もあります。
現在の埼玉県域は江戸川沿いの一部を除いて武蔵国と言いました。さいたま市は全域が武蔵国で、以下の郡に属しました。
(南)埼玉郡岩槻 - 埼玉県庁が置かれる予定だった城下町。県名は、岩槻が属していた埼玉郡に由来する。
(北)足立郡大宮 - 武蔵国一ノ宮「氷川神社」のある中山道の宿場町。鉄道ターミナルとなったことにより発展した商業都市。
(北)足立郡浦和 - 中山道の宿場町。県庁や教育機関が置かれる文教都市。
(北)足立郡与野 - 中山道の脇往還の宿場町。明治初期まで大宮、浦和よりも人口が多かった。
※埼玉郡は、明治12年に南埼玉郡と北埼玉郡に分割されています。
※足立郡は、明治12年に埼玉県部分が北足立郡、東京府部分が南足立郡(現在の東京都足立区)となっています。
これらの町と、浦和、大宮、岩槻が編入した周辺の村で構成されるのが現在のさいたま市です。
さいたま市は、埼玉県の名の通り旧埼玉郡(岩槻)を市域に含み、行政的中心(浦和)も、商業的中心(大宮)も抱えている、県庁所在地として兼ね備えておくと理想な要素全てを合併によって満たし、現在に至ります。
ところで、浦和と言えば「〇浦和」という駅が多いことで有名ですが、浦和、北浦和、南浦和、東浦和、西浦和、武蔵浦和、中浦和、そして浦和美園と大量にあります。一応、位置関係は把握していますが、紛らわしいことこの上ないです。
友人と西浦和で待ち合わせをしたら北浦和に行かれてしまったことがあるのでご注意を!
本日のポイント
・浦和も大宮も仲良くしよう。
・旧浦和市内の駅で待ち合わせをする時は、何浦和駅かをよく確認しよう!
埼玉県の県庁所在地…みなさんはどう答えますか?
さいたま市
正解です。ただ、咄嗟にこう出てくる人もおそらく少なくないでしょう。
浦和
浦和市があった頃の名残ですが、個人的にはさいたま市浦和区や大宮区と言われるよりも浦和市や大宮市の方が未だにしっくりきます。
さいたま市は、2001年に浦和市、大宮市、与野市が合併して誕生し、2003年に政令指定都市(9区設置)へ。そして、2005年に岩槻市を編入(10区)して現在に至ります。
・さいたま市の内訳
旧浦和市 - 浦和区、南区、桜区、緑区
旧大宮市 - 大宮区、北区、西区、見沼区
旧与野市 - 中央区
旧岩槻市 - 岩槻区(2005年編入)
(※一部、上記と異なる場所もあります)
9区の名称選定の過程はニュースで見ていましたが、さいたま市長にカミソリの刃が送られるなど穏やかならぬ状況でした。なぜ、区名の選定でそのようなことが起きていたのか?テレビで見たニュースによると、主に旧大宮市民が怒りを露わにするというもので、このように報道されていました。
旧大宮市(東部)民「沼が付くのは田舎臭い。見沼には反対だ」
旧大宮市(東部)民「見沼区〇沼 沼が二つも付くなんて田舎臭い!」
旧大宮市(東部)住民「見沼は嫌だ。※見沼の面積は浦和の方が広いんだから浦和(東部)が名乗るべきだ」
旧大宮市(東部)住民「東区がいい」
旧大宮市民「なぜ浦和ばかり『桜』や『緑』など綺麗な名前を付けて、大宮は北、西、見沼なのか」
※見沼…旧浦和市東部・旧大宮市東部を中心として広がっていた広大な沼。江戸時代の干拓事業で新田となり、今でも「見沼田んぼ」の名で知られる。昭和10年代に、多摩湖、狭山湖に次ぐ貯水池として開発することが計画されたが、周辺の町村の反対により撤回され現在に至る。
メディアや世間(個人差はあると思いますが)はこのような風潮だったように記憶しています。
「見沼田んぼという地域の歴史を否定している」
「沼が付くことを田舎臭いと嫌がる姿こそ田舎臭い」
「歴史性も何もない『桜』や『緑』をいいとか、「東」がいいと言う発想が逆に田舎臭い」
可能な限り歴史的地名を使用することが望ましいと考える立場からするとこの意見は理解できますが、こうやって大宮が反発して批判されることそのものが浦和の目論見通りだった…と言ったら考えすぎでしょうか。そもそも、旧与野市を与野区とせずに中央区としたこと自体に旧浦和市側の意向が働いていたと思います。
旧大宮市よりも南にある旧与野市を中央区としておけば、仮に今後旧大宮市の北にある上尾市や北足立郡伊奈町と合併することがあっても、名目上の『中央』の位置は変わらない訳です。さいたま市の地理的な中心が大宮になったとしても、大宮よりも南に中央区がある事実は揺るがない。
旧浦和市の中心を中央区とすることは大宮が断固反対するでしょうから、それぞれの中心を浦和区、大宮区とした上で、その間(若干浦和寄り)に挟まれた旧与野市を中央区とすることで折衷…したと見せかけて、浦和の戦略勝ちという結果なのではないかと思います。中央区という名称選定自体も与野区を望む人が多数の旧与野市民の意見を無視したものでしたし、さいたま市再分離の声も大宮側から出ていましたから。
しかし僕は思います。そもそもそこまで旧市対立が酷い地域が…
合併する必要があったのかと!
政令指定都市になることで様々な権限が委譲されるというメリットがありますが、同レベルの都市同士で合併をするとどうなるかという見本のような合併だったと思います。
大宮駅前で「大宮区は大宮アルディージャを応援しています」という文字を見た時には、「さいたま市は、浦和レッドダイヤモンズ、大宮アルディージャを応援しています」とできないのかと思いました。
ちなみに、現在のさいたま市の枠組みには良い点もあります。
現在の埼玉県域は江戸川沿いの一部を除いて武蔵国と言いました。さいたま市は全域が武蔵国で、以下の郡に属しました。
(南)埼玉郡岩槻 - 埼玉県庁が置かれる予定だった城下町。県名は、岩槻が属していた埼玉郡に由来する。
(北)足立郡大宮 - 武蔵国一ノ宮「氷川神社」のある中山道の宿場町。鉄道ターミナルとなったことにより発展した商業都市。
(北)足立郡浦和 - 中山道の宿場町。県庁や教育機関が置かれる文教都市。
(北)足立郡与野 - 中山道の脇往還の宿場町。明治初期まで大宮、浦和よりも人口が多かった。
※埼玉郡は、明治12年に南埼玉郡と北埼玉郡に分割されています。
※足立郡は、明治12年に埼玉県部分が北足立郡、東京府部分が南足立郡(現在の東京都足立区)となっています。
これらの町と、浦和、大宮、岩槻が編入した周辺の村で構成されるのが現在のさいたま市です。
さいたま市は、埼玉県の名の通り旧埼玉郡(岩槻)を市域に含み、行政的中心(浦和)も、商業的中心(大宮)も抱えている、県庁所在地として兼ね備えておくと理想な要素全てを合併によって満たし、現在に至ります。
ところで、浦和と言えば「〇浦和」という駅が多いことで有名ですが、浦和、北浦和、南浦和、東浦和、西浦和、武蔵浦和、中浦和、そして浦和美園と大量にあります。一応、位置関係は把握していますが、紛らわしいことこの上ないです。
友人と西浦和で待ち合わせをしたら北浦和に行かれてしまったことがあるのでご注意を!
本日のポイント
・浦和も大宮も仲良くしよう。
・旧浦和市内の駅で待ち合わせをする時は、何浦和駅かをよく確認しよう!
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