カンガルーの西濃
- 2016/09/09
- 23:49
「西濃」の意味について思わぬところで気が付いたチキンです。
西濃運輸という有名な会社(「カンガルーの西濃」のアレです)がありますが、以前、関ヶ原に行こうと東海道線に乗っていた時に車窓を見ていて思いました。
なんでこんなに西濃(運輸)が多いんだ!?
と。場所的には、岐阜市を超えて大垣付近。岐阜、西濃、岐阜、西濃、西濃…ああああっ!!!
美濃西部にあるから西濃か!!
岐阜県と言えば、昔は美濃国。そして、大垣界隈は岐阜の西部。だから西濃か!と自己解決してテンションが上がった記憶があります(そもそも「西濃」は岐阜西部を指す地域名のようです)。
皆さんは、廃藩置県前の国名についてご存じでしょうか?実は、今も様々なところで名前が使われているんですよ。
例えば、「武蔵小杉駅」や「武蔵村山市」。これは、いずれも武蔵国にあることから付けられた名前です。相模国だと「相模大野」、下総国だと「下総中山」、駅名(特にJR)によく使われます。
また、旧国名は「○州」という言われ方もし、旧信濃国で構成される長野県のことを長野県民は「信州」と言っています。一般的によく名前が出るところだと、「紀州南高梅」(紀伊国→紀州=和歌山県)が有名でしょうか。
さて、美濃国(岐阜県)と尾張国(愛知県西部)の間には、木曽川という川があります。
木曽と言えば、「木曽山中」などの語を聞いたことがありませんか?森三中ではありませんよ。
島崎藤村の小説「夜明け前」で、「木曾路はすべて山の中である」とありますが、木曽路(木曽街道)とは、中山道の木曽川に近い辺りの別称。夜明け前の舞台である馬篭(まごめ)宿は、観光地としてもそれなりに有名です。
馬篭宿は、平成の大合併で長野県から岐阜県へ移管されたことで大きく取り上げられました。馬篭宿のある長野県木曽郡山口村が、岐阜県中津川市に編入されたのです。越県合併は実に46年ぶり。大変レアなケースです。
そんなこんなで木曽川とは、長野県から岐阜、愛知境を流れ、三重へ流れる川です。
平成の大合併で以下の郡はなくなってしまったんですが、愛知と岐阜の県境は興味深いことになっていました。
葉栗郡(愛知)と羽栗郡(岐阜)がある
なぜ、川を挟んで別字で同じ読みの郡があるのでしょう?気になりますよね?気になりませんか?気になって下さい!新たな発見は気になるところから始まるのです!
調べたところ、興味深いことが分かりました。
1586年(天正14年)におきた「木曽川の大洪水」の影響で、尾張国と美濃国の境を流れる木曽川がそれまでより東を流れてしまうようになってしまったそう。すると、美濃国との境に流れていた木曽川が葉栗郡内のほぼ中央を流れるようになってしまいます。この為、豊臣秀吉の命により、1589年(天正17年)に新しい木曽川を尾張国と美濃国の境とし、美濃国側を羽栗郡に改称したらしいです。
ちなみに、それ以前の木曽川は「境川」という名で今も存在しています。尾張と美濃の境だから「境川」。東京都町田市(武蔵国)と神奈川県相模原市(相模国)の境にある川も境川ですが、どちらも「境界線の川」という意味です。
さて、葉栗郡と羽栗郡が川を挟んで存在した理由ですが、非常に単純なもので、尾張国葉栗郡のうち美濃国に変更された部分が羽栗郡と改称したそうです。
とある有名な方が「私の名前の由来は木曽川堤の“桜”」と言っていましたが、大昔に氾濫がなければそこに木曽川はなく、その方の名前も全く異なるものだったかもしれません。歴史って深い!
本日のポイント
・都道府県とその位置(+県庁所在地)を覚えよう。
・余裕があれば、旧国名も覚えよう。
西濃運輸という有名な会社(「カンガルーの西濃」のアレです)がありますが、以前、関ヶ原に行こうと東海道線に乗っていた時に車窓を見ていて思いました。
なんでこんなに西濃(運輸)が多いんだ!?
と。場所的には、岐阜市を超えて大垣付近。岐阜、西濃、岐阜、西濃、西濃…ああああっ!!!
美濃西部にあるから西濃か!!
岐阜県と言えば、昔は美濃国。そして、大垣界隈は岐阜の西部。だから西濃か!と自己解決してテンションが上がった記憶があります(そもそも「西濃」は岐阜西部を指す地域名のようです)。
皆さんは、廃藩置県前の国名についてご存じでしょうか?実は、今も様々なところで名前が使われているんですよ。
例えば、「武蔵小杉駅」や「武蔵村山市」。これは、いずれも武蔵国にあることから付けられた名前です。相模国だと「相模大野」、下総国だと「下総中山」、駅名(特にJR)によく使われます。
また、旧国名は「○州」という言われ方もし、旧信濃国で構成される長野県のことを長野県民は「信州」と言っています。一般的によく名前が出るところだと、「紀州南高梅」(紀伊国→紀州=和歌山県)が有名でしょうか。
さて、美濃国(岐阜県)と尾張国(愛知県西部)の間には、木曽川という川があります。
木曽と言えば、「木曽山中」などの語を聞いたことがありませんか?森三中ではありませんよ。
島崎藤村の小説「夜明け前」で、「木曾路はすべて山の中である」とありますが、木曽路(木曽街道)とは、中山道の木曽川に近い辺りの別称。夜明け前の舞台である馬篭(まごめ)宿は、観光地としてもそれなりに有名です。
馬篭宿は、平成の大合併で長野県から岐阜県へ移管されたことで大きく取り上げられました。馬篭宿のある長野県木曽郡山口村が、岐阜県中津川市に編入されたのです。越県合併は実に46年ぶり。大変レアなケースです。
そんなこんなで木曽川とは、長野県から岐阜、愛知境を流れ、三重へ流れる川です。
平成の大合併で以下の郡はなくなってしまったんですが、愛知と岐阜の県境は興味深いことになっていました。
葉栗郡(愛知)と羽栗郡(岐阜)がある
なぜ、川を挟んで別字で同じ読みの郡があるのでしょう?気になりますよね?気になりませんか?気になって下さい!新たな発見は気になるところから始まるのです!
調べたところ、興味深いことが分かりました。
1586年(天正14年)におきた「木曽川の大洪水」の影響で、尾張国と美濃国の境を流れる木曽川がそれまでより東を流れてしまうようになってしまったそう。すると、美濃国との境に流れていた木曽川が葉栗郡内のほぼ中央を流れるようになってしまいます。この為、豊臣秀吉の命により、1589年(天正17年)に新しい木曽川を尾張国と美濃国の境とし、美濃国側を羽栗郡に改称したらしいです。
ちなみに、それ以前の木曽川は「境川」という名で今も存在しています。尾張と美濃の境だから「境川」。東京都町田市(武蔵国)と神奈川県相模原市(相模国)の境にある川も境川ですが、どちらも「境界線の川」という意味です。
さて、葉栗郡と羽栗郡が川を挟んで存在した理由ですが、非常に単純なもので、尾張国葉栗郡のうち美濃国に変更された部分が羽栗郡と改称したそうです。
とある有名な方が「私の名前の由来は木曽川堤の“桜”」と言っていましたが、大昔に氾濫がなければそこに木曽川はなく、その方の名前も全く異なるものだったかもしれません。歴史って深い!
本日のポイント
・都道府県とその位置(+県庁所在地)を覚えよう。
・余裕があれば、旧国名も覚えよう。
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